クラシック音楽人物伝

クララ・シューマン【シューマンを支えた天才美人ピアニスト、ブラームスとの関係は?】

19世紀を代表する女性ピアニスト・・・。
というかこの時代に歴史に残るほど活躍した女性ピアニストはクララ・シューマンだけではないでしょうか。
今回はロマン派時代の天才美人ピアニスト、クララ・シューマンについて書いていきたいと思います。

クララ・シューマンとは

クララ・シューマンの生きたロマン派時代と言えばショパンやリストが活躍した頃です。
当時の音楽家たちのクララ・シューマンの評価を見ていきましょう。

ショパン
ショパン
僕の練習曲集を弾ける唯一のドイツ人女性
リスト
リスト
力強く、知性的に、正確に弾くこの若い女性の演奏を今すぐにでも聴きたい、そのようなピアニストがいることはどの国でもきわめて稀な現象

ショパンやリストも認めているのでピアニストとしての腕は超一流だったことがわかります。

そしてクララ・シューマンと言えばもう一つ・・・。

そう、ロマン派時代を代表する音楽家、ロベルト・シューマンの奥さんでもあります。
クラシック音楽史上で見ても夫婦揃って活躍したのは恐らくこの二人だけではないでしょうか。

クララ・シューマンは

  • 19世紀において最高の女性ピアニスト
  • ロベルト・シューマンと音楽家同士での結婚

この2つにおいて歴史的に有名な人となります。

ではクララ・シューマンがどのような人生を送ったか見ていきましょう。

※以降よりクララ・シューマンをクララ、ロベルト・シューマンをシューマンとします。

クララ・シューマン人物伝

シューマン
シューマン
私の最愛の妻にして最高のピアニストです!

クララ・シューマンの生い立ち

クララは1819年9月13日にザクセン王国ライプツィヒに生まれます。
父はピアノ教師として名高い、フリードリヒ・ヴィーク。(母はクララが幼い頃に離婚)
フリードリヒ・ヴィークはピアノ教師としての才能は確かだったようですが人としてはイマイチだったようです・・・。
離婚するまでは奥さんの収入に頼っていたので子供たちをスターピアニストに育て上げて収入を得ようとします。
しかも一番センスの良かったクララを集中的に育て上げて、後の子供の教育は放置していたとか。
なかなかのお父さんですね~。

しかし、本当に娘をスターピアニストに育て上げるのですからピアノ指導の腕前は確かだったのでしょう。
もちろんクララの才能と努力もあったと思いますが・・・。

天才少女と呼ばれて

父、フリードリヒ・ヴィークの英才教育を受けたクララは9歳でプロデビューします。
ゲヴァントハウスでモーツァルト・ピアノ協奏曲のソリストを務めるのですが、モーツァルトでデビューというのも父の作戦でしょうか・・・。
やはり音楽界で神童いえばモーツァルトですからあやかりたかったのかも知れませんね~。

12歳の時にはヨーロッパ各地でコンサートを開催。どの地域でも絶賛されて順調に知名度を上げていきます。
18歳の時には当時のオーストリア皇帝フェルディナント1世より、「王室皇室内楽奏者」の称号を与えられます。
この「王室皇室内楽奏者」という称号は、当時の音楽家にとって最高峰の栄誉。18歳のクララは天才少女と呼ばれ、ヨーロッパ各地でリストやタールベルクと並び称されるスターピアニストになりました。

シューマンとの出会い・結婚

シューマン
シューマン
私たちは結婚するまで大変でした~

シューマンとの出会い

シューマンとの出会った時、クララは11歳。シューマンは20歳になってました。
この時はまだお互い恋愛感情はなかったでしょう。歳が離れすぎてますし、クララはまだ子供ですからwww
当初は兄妹のような関係だったようです。

シューマンとの関係が恋愛に発展したのはいつ?

クララがシューマンと恋愛関係になったのは父、フリードリヒ・ヴィークの2人目の妻が出産し、クララに異母兄弟が出来た頃と言われています。
複雑な家庭環境の中で心の拠り所となったシューマンに対して恋愛感情が芽生えていった訳です。
1833年にはクララが『ロマンス・ヴァリエ・作品3』を作曲してシューマンに捧げ、シューマンは『クララ・ヴィークの主題により即興曲・作品5』を返しているので、この頃には少なくてもクララの方には恋愛感情があったのではとされてます。

「クララの方には」としたのはシューマンは1834~1835年に『謝肉祭』というピアノ小品集を発表しており、その曲集は当時、好きだったエルネスティーネ・フォン・フリッケンを想って書いたものとされているからです。
『謝肉祭』の曲の中にはクララを題材にしたものもありますが、少なくと1833年の時点ではシューマンにとってクララはまだ妹みたいな存在だったかも知れませんね~。

シューマンの『謝肉祭』についての記事もありますので合わせてご覧ください。

シューマンの謝肉祭を紹介するよ!【ショパンや想い人に捧げたピアノ小品集】『謝肉祭』は20曲からなるシューマンの初期作品を代表するピアノ小品集です。 今回はシューマンのピアノ小品集『謝肉祭』に関してのエピソー...

クララとシューマンが付き合い始めたのは1835年と言われていますが1837年には父のフリードリヒ・ヴィークに結婚の承諾を得ようとします。
当時、結婚するには親の承諾が必要だったので・・・。

しかし、案の定、フリードリヒ・ヴィークは猛反対します。
前述しました通り、クララをスターピアニストにしようと懸命に育ててきた訳でヨーロッパでクララが誰もが認めるスターピアニストになってこれから・・・。
という時期にまさかの自分の弟子との結婚ですから。

父、フリードリヒ・ヴィークの反対は相当なものでした。

二人が結婚出来たのは3年後の1840年。
裁判沙汰にまでなってやっとです。

シューマンとの結婚後

クララはシューマンと無事、結婚でき子宝にも恵まれます。
現在のイメージだと大物音楽家とスターピアニストの結婚ですから、裕福な家庭を連想すると思いますが、実際はそうではなかったようです。
シューマンは評判の良い曲を作って、執筆活動も行って有名な音楽家ではありましたが、当時の知名度はクララの方がはるかに上でした。
何せ「王室皇室内楽奏者」ですから演奏会を開催しようものなら大人気でした。

クララは結婚してからも演奏旅行をすれば大金を稼げるスターピアニストでしたが1840年代は出産(8人産んだ)と子育てがあったのでヨーロッパ各地を回らなければいけない演奏旅行も大変だったようです。

どこまで忠実かは定かではありませんがクララの半生を描いた『クララ・シューマン 愛の協奏曲 』という映画があります。
この映画は精神を患っている痛々しいシューマンと、それを支える気丈なクララ。そこに若きブラームスを交えた人間模様がメインのストーリーですが、シューマン家の決して裕福ではない生活の模様も描かれています。

シューマンとの死別後

クララはシューマンの晩年の精神病のイメージを払拭するため、またシューマンの曲を多くの人に広めるために奔走します。
1877年にはシューマンの全作品集の編纂も始めます。

76歳、脳出血で亡くなるまで夫、ロベルト・シューマンのために活動してきました。

現在においてもユーロに統合される前の100マルクの紙幣に肖像が使われていました。

クララ・シューマンその他のエピソード

ブラームス
ブラームス
私とクララさんの関係!?

ブラームスとの関係は?

クララと言えば前項でも少し触れましたが夫、シューマンとその弟子、ブラームスとの三角関係も有名です。
ブラームスがシューマン家を訪ねたのが20歳の時。
シューマンが43歳、クララは34歳の頃ですね~。
既にこの時はシューマンが精神を患っていたのでクララは何かと気苦労が絶えない時期でもありました。
ブラームスがシューマン家を訪ねたのが1853年、シューマンがライン川に身を投げて自殺未遂をするのが1854年、そして2年後には亡くなっています。

シューマンはクララが産んだ最後の子をブラームスの子では?と疑っていたと言いますし、シューマンが亡くなってからもクララとブラームスは親密な関係だったことから二人の関係が疑われる要因となってますが・・・。

実際のところはクララとブラームスの関係について確固たる証拠はないので噂レベルのことなのかも知れません。

超技巧派ピアニスト、リストについてクララはどう思っていたの?

リストはシューマンの同い年くらいなのでクララとは10歳ほど離れています。
ピアニストのヴィルトゥオーゾといえば当時はリストのことです。
現在のロックスターのような人気を誇ったリストですが、クララはリストに対して否定的に思っている部分もあったようです。

父のフリードリヒ・ヴィークから「演奏家としての責任は、作曲家の精神と意図にできる限り近い演奏をすること」と厳しく教えられていたためです。
リストの演奏は自らの技巧を誇示するためにわざと華やかに演奏したりする面もあったようです。
実際のクララの演奏を聴くことはできませんが技巧に頼らず、実直な演奏だったことが伺えるエピソードですね。

ほんとは作曲もしたかった・・・

前項で紹介しました『クララ・シューマン 愛の協奏曲 』の映画でも、新しい家に引っ越して喜んでいる場面で「私も作曲ができる~」というような台詞をいった途端、シューマンが明らかに不満な態度を示したシーンがあります。

クララは若い頃から作曲に意欲的でしたが当時は女性が作曲者となることはあまり良しとされてなかったようです・・・。

実際、クララは非常に作曲の才能にも長けていてクララの作品を聴いたリストは・・・。

リスト
リスト
クララ・シューマンの作品は本当に驚くべきものです。特に女性としては。クララの作品は、タールベルクのすべての幻想曲と比べてみても、100倍もの独創性と真の感受性があります

と絶賛しています。

クララが作曲を諦めずに続けていたら夫のシューマンより偉大な作曲家になっていたかもしれませんね。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
ショパンやリストも認めたピアノ演奏力・・・。
当時、絶大なる人気を誇った天才女性ピアニスト、クララ・シューマン。
叶うものなら、生演奏を聴いてみたいものですね!

以上、「クララ・シューマン【シューマンを支えた天才女性ピアニスト、ブラームスとの関係は?】」でした。

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