クラシック音楽の歴史

古典派音楽の特徴・有名な曲・活躍した作曲家などの時代背景を知ろう!

古典派音楽が主流だった頃は世界的に様々な変革があった時期でした。
そんな『変革の時代』に確立された古典派音楽とはどのような音楽だったのでしょう。
今回は古典派音楽の特徴や活躍した作曲家、おすすめ曲を紹介していきます。
おすすめ曲の動画もあるので是非、聴いてみてください!

古典派音楽とはいつ頃の音楽のこと?

古典派音楽が主流だったのは1750~1820年頃。
この頃、西洋は革命の時代。
1776年はアメリカ独立宣言、1789年はフランス革命。
そして18世紀後半からはイギリスで産業革命が起こりました。

音楽においても以前の時代に比べて大きな変革があった時代と言えます。

古典派音楽の特徴は?


古典派音楽にはどのような特徴あったか、また、以前の時代の音楽に比べてどのような変革があったのかを見ていきましょう。

器楽ジャンルの発展

イタリアのシンフォニアがドイツへ

古典派時代は交響曲や重奏曲(弦楽四重奏など)などの器楽ジャンルが発展しました。

ハイドン
ハイドン
交響曲のルーツは『シンフォニア』なのだよ。

このシンフォニアというのはイタリア・オペラの序曲のことでオペラとは音楽関係がなかったので切り離しやすく、独立して演奏することもありました。
イタリアのシンフォニアがドイツに輸入され、大きく発展したのです。

ウィーンで大きく発展

1770年頃からウィーンで交響曲が大きな発展をとげます。
交響曲の発展の基盤を作ったのが『交響曲の父』と言われるハイドン。
ハイドンは生涯で100曲以上の交響曲をつくりました。

その後、天才モーツァルト、楽聖ベートーベンのピアノソナタ第とそうそうたる音楽家が後に続きます。

音楽家が職人から芸術家へ

バロック音楽以前は音楽家の主な仕事は教会や宮廷なので依頼を受けて演奏することでした。
曲や演奏自体もその場で堪能するだけのもので記録するという概念はあまりなかったと思います。
なのでバッハのような偉大な音楽家も自分の生きた時代を過ぎると忘れ去れてしまったのですね・・・。

しかし古典派時代の世は革命の時代。
パリやロンドンなどの大都市では市民の力が強くなり、市民層に「音楽を愉しむ」という概念が生まれました。
市民を集めて演奏会を催したり、楽譜を出版して販売する・・・。
流石にこの時代、音源まで販売する技術はありませんが今のミュージシャンのビジネスモデルとより近くなっていきます。

また同じ古典派時代を生きた二人の天才モーツァルトとベートーベン。
この2人の間には14歳の差がありますが、モーツァルトは25歳までは雇われ音楽家を経験しきたのに対し、ベートーヴェンは生涯、一度も宮廷に仕えることがありませんでした。

「教会や宮廷のための音楽」ではなく「自分の表現したい音楽」をつくる・・・。
この古典派時代後期からは音楽家は雇われ職人ではなく芸術家として認められていくのです。

古典派音楽の代表的な作曲家と有名な曲

古典派音楽を代表する作曲家と折角なので古典派時代に発展した交響曲をおすすめ曲としてご紹介します。

ハイドン(ロンドン)

ハイドン
ハイドン
モーツァルトもベートーベンも私のことは慕っていたよ

ハイドンは『交響曲の父』と呼ばれていることからも、この古典派時代における重要な音楽家であることが伺いしれます。

近所でも評判の歌の上手い子どもだった

ハイドンは1732年、当時ハンガリー領のローラウという村で生まれました。
ハイドンは音楽家の家庭で生まれた訳ではありませんが車大工をやっていた父が非常に音楽好きでハイドンもその影響を受けたとされています。

ハイドンは子どもの頃から歌が上手で近所では評判でした。
ハンブルクに住んでいた親戚がその才能に目を付け、音楽の教育を本格的に受けさすために引き取ります。

若かりし頃は苦労人

若かりし頃のハイドンは結構、苦労人です。
屋根裏部屋に住み、教会や貴族のパーティーでの演奏、家庭教師などをして生計を立ててました。

27歳で宮廷に仕えるまでは貧乏生活だったようです。

ハイドン
ハイドン
当時は音楽で生活ができるだけで幸せだった・・・

長年の雇われ楽長を経てロンドンでフリーに!

その後は長年に亘り宮廷楽団の楽長を務め、数々の交響曲を作曲することになります。
晩年は仕えていた宮廷楽団が無くなり、失業したことをきっかけにロンドンでコンサートを行うことになり、それが大成功をおさめます。
ハイドンは1791~92年の1年間でロンドンで多くの演奏会を催し、今の日本円で1億円ほどの大金を手にしたそうです。

ハイドンは音楽史上では地味?な存在かも知れませんがハイドンがウィーンからロンドンに旅立つときにモーツァルトが見送りにきたり、ベートーヴェンに関しては師弟関係であったこともあります。
間近に控えた天才音楽家に少なからず影響を与えた人物でもあります。

ハイドンのおすすめ交響曲

今回、100以上あるハイドンの交響曲から『ロンドン』をご紹介します。
この曲は大成功をおさめたロンドンで作曲されたハイドンの代表作ともいえる曲です。

モーツァルト(交響曲第40番)

モーツァルト
モーツァルト
作曲するのに悩んだことなど一度もないよ!

ジャンルを問わず神童・天才と呼ばれる音楽家(ミュージシャン)でまず名前が上がるのはモーツァルトと言っても過言ではありません。

神童時代は父と演奏旅行の日々

1756年、オーストリアのザルツブルクに生まれます。
宮廷楽士をしていた父はモーツァルトの音楽の才能をいち早く見抜きます。
父は息子の才能を世に広めようと幼いモーツァルトを連れて演奏旅行を繰り返します。
モーツァルトの演奏は行く所々で大絶賛を受けました。
ちなみ父はこの演奏旅行でかなり儲けたらしいですwww

イタリアで売り出すも就職できず・・・

モーツァルトが生まれたザルツブルクは歴史がある街ですが所詮、田舎。
父はモーツァルトをもっと大きな宮廷楽団に入れようと思い、モーツァルトとともにイタリアに留学を兼ねた旅に出ます。
ハイドンもそうでしたがこの時代、田舎ではいくら才能があっても成功するのが難しかったのです。(今の時代も同じかもしれませんが・・・)

モーツァルトはイタリアでオペラを学ぶなど音楽の幅を広げることには成功しましたが、結局就職は叶わずにザルツブルクに帰ることになります。
しばらくは故郷のザルツブルクで雇われ音楽家の生活を送っていましたが、ある日、大司教と大喧嘩して楽団をクビになってしまいます。

25歳でフリーの音楽家に

地元ザルツブルクの宮廷楽団をクビになったモーツァルトはフリーの音楽家となって活動することを決意します。
この当時はハイドンですらまだ雇われの身だったのでモーツァルトはまさにフリーミュージシャンの先駆け的存在ですね。

フリーになったモーツァルトはウィーンで予約制の演奏会を確立させます。
会場を決め、宣伝して予約を取ります。
そして入場料を取り、コンサートを開く・・・。
今では当たり前のようなシステムですが当時の演奏会は貴族が主催して行われることが多かったので非常に斬新な取り組みでした。
またイタリアで学んだオペラでも依頼されて作るのではなく、作ってから売り込むという手法で収入を得ました。

浪費家であることが災いし晩年は・・・

ウィーンで一世を風靡して大金を得たモーツァルト。
しかし、彼は浪費家としても有名でどんどん借金が膨れ上がっていきます・・・。
典型的な破滅型の天才の道を歩むモーツァルトは最後はレクイエムという曲を作っている最中に謎の死をとげます。
35歳という若さでした。

モーツァルトのおすすめ交響曲

モーツァルトは交響曲は41番まであり、最後の3曲は特に有名です。
今回は第40番をご紹介します。
きっと聴いたことがあるはず!

ベートーベン(田園)

古典派音楽の完成させ、そしてロマン派の幕開けをし、後世の音楽家たちにも絶大なる影響を与えたベートーベン。
まさに楽聖の名にふさわしい音楽家です。

ベートーベン
ベートーベン
難聴にも負けず、ストイックに作曲を続けたよ!

親子3代の音楽一家

ベートーベンは1770年、ドイツのボンで生まれました。
ベートーベンの家系は音楽一家。
祖父は宮廷歌手で宮廷楽長まで務める人でした。父も同じく宮廷歌手でした。
しかし偉大な祖父に比べ、父は平凡だったようです。
祖父の死後、父は楽団から冷遇されるように酒浸りの生活を続け、アル中に・・・。

一見、家系に恵まれているベートーヴェンですが小さい頃から苦労をしています。
アル中の父は息子に才能があると感じると大儲けを企み、ベートーヴェンにスパルタ教育を施します。
ベートーヴェンは嫌々ながらも音楽漬けの日々を送りますが結果的には才能は開花しました。

ハイドンとモーツァルトとの出会い

ベートーベンは7歳にしてコンサートデビュー、13歳にして宮廷楽団から給料が出て、14歳の頃には音楽の家庭教師もこなすなどアル中の父に代わり一家の大黒柱になってました。

16歳になったベートーベンは知人たちに旅費を工面してもらいウィーンに音楽の勉強へ行きます。
そこでモーツァルトと一回だけ出会ったとされています。
モーツァルトはベートーベンの14歳年上なので、この時30歳。
フリーの音楽家として大成功を収めていたモーツァルトは少年時代のベートーベンのピアノを聴いて才能を認めたとされています。
折角ウィーンに音楽の勉強をしにきたベートーベンでしたが、母の危篤の知らせにより2週間も経たずにボンに帰るハメとなります。

ボンに帰ってもベートーベンは音楽家として順調に成長し続けました。
ハイドンがロンドンからの帰路でボンに立ち寄った時にベートーベンが書いた楽譜を見て才能を見抜き、弟子に誘います。
これを機に再びウィーンに向かうことになります。
ウィーンではハイドンの弟子となりますがハイドンはロンドンでの公演の準備に忙しくあまりかまってくれなかったようです・・・。

ピアニストとしての成功、難聴を機に作曲家へ

ベートーベンがウィーンで最初に名声を得たのはピアニストとして。
交響曲が有名なベートーベンですがピアノ曲も名曲揃いなので納得です。

ピアニストとしてスターとなり、交響曲の作曲も手掛け始めた頃、ベートーベンの身体に異変が起きます。

難聴です・・・。

耳が聞こえにくくなるこの病気は音楽家として致命的です。
この時30歳を過ぎていたベートーベンは他の転職することもできずに死を覚悟するほど苦悩しましたが、ピアニストは諦め作曲家として生きていくことを決意します。

その後は革新的な交響曲を発表し続け、楽聖の名に恥じない活躍を続けました。
ベートーベンは頑固もの故に私生活では変わり者と知られてましたが音楽に対する姿勢はストイックで情熱的で・・・。
多くの後輩音楽家たちから尊敬されていたようです。
ベートーベンの葬式はそれこそ盛大なものだったそうです。

ベートーベンのおすすめ交響曲

『第九』『運命』など本当にベートーベンの交響曲は有名な曲ばかりですが、今回は『田園』をご紹介します。
この曲を聴くとタイトル通り雄大な田園の風景が感じられます。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
モーツァルト、ベートーベンなどのクラシック音楽を代表する音楽家たちも出てきたのでてんこ盛りの内容となりました。

今回、おすすめ曲は交響曲を中心にご紹介しましたが他のも素晴らしい曲・演奏がたくさんあります。「ベートーベン 交響曲」などでYouTubeで検索したら色々出てきますのでお気に入りの曲・演奏を是非、見つけてみてください!

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