クラシック音楽の歴史

国民音楽(国民楽派)の特徴・有名な曲・活躍した作曲家・時代背景を知ろう

今回は国民音楽(国民楽派)と言われる時代の音楽についてご紹介したいと思います。
クラシック音楽はドイツを中心としたヨーロッパで発展し、その様式がグローバルスタンダードとして他の地域でも広がっていきました。
しかし次第に自国の昔ながらの音楽も尊重していくべきだとの声も出てきました・・・。

国民音楽(国民楽派)とはいつ頃の音楽のこと?

国民音楽(国民楽派)が提唱され始めたのは1850年頃から。
イギリスで世界初の万博が開催され、ヨーロッパを中心に起きた数々の革命もひと段落ついた時期ですね~。

またヨーロッパ各地では小国の独立運動が活発化し、ロシアでは自国の民族意識に重きをおいた音楽が模索され始めます。

過去のバロック音楽、古典派音楽、ロマン派音楽についても記事にしてますので併せてご覧ください。

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国民音楽(国民楽派)の特徴は?


国民音楽(国民楽派)にはどのような特徴あるのかを見ていきます。

ロマン派時代に流行したロマ音楽が国民音楽の先駆け

ブラームス
ブラームス
異国情緒あふれるリズムは新鮮でした~

ロマン派時代に流行したのがロマ音楽。
ロマとは11世紀頃に北インドからヨーロッパへの流れ住んだ民族の総称で、彼らの音楽はどこか憂いのあるメロディと激しいリズムを併せ持つ独特のものでした。

そのロマの音楽性を取り入れたのがブラームス、リスト、サン=サーンスといった音楽家たちです。

■ロマ音楽の要素を取り入れた主な作品

  • ハンガリー舞曲集(ブラームス)
  • スラブ舞曲集(ドヴォルザーク)
  • ハンガリー狂詩曲(リスト)
  • ピアノ協奏曲第5番「エジプト風」(サン=サーンス)

このような異国情緒あふれるエキゾチックな要素を持った作品が19世紀頃に流行りましたが、この動きが国民音楽の先駆けと言われています。

ロシア5人組とチャイコフスキー

チャイコフスキー
チャイコフスキー
私はロシア5人組とは同時期に活動してたけど音楽性は対立してたんだ

最初に国民音楽(国民楽派)の動きが出たのは大国ロシア。
ロシアはもともとドイツの影響を強く受けている国で(エカテリーナ2世がドイツ出身だったため)音楽も自ずとドイツ音楽が主流でした。
しかし19世紀後半からはロシアの芸術家たちの中でドイツ流からの脱却を図り、自国の良さを取り入れる動きが始まります。
音楽分野も例外ではなくミリイ・バラキレフを筆頭にツェーザリ・キュイ、モデスト・ムソルグスキー、アレクサンドル・ボロディン、ニコライ・リムスキー=コルサコフが古くからのロシア民謡を題材にするなど自国の音楽を意識した曲を発表していきます。
この5名を「ロシア5人組」と呼び、国民音楽(国民楽派)を語るには欠かせない音楽家たちとなります。

一方で同じ時期に活躍した同じくロシア出身の音楽家、チャイコフスキーは自国のこのような動きにはとらわれずにドイツ・ロマン派の音楽を続けていきます。
チャイコフスキーと言えばバレエ音楽。
『白鳥の湖』『くるみ割り人形』『眠れる森の美女』などはクラッシク音楽の枠を超えた有名曲ですね。
当時ロシア5人組は「民族派」、チャイコフスキーは「西欧派」と呼ばれていました。

ロシア5人組とチャイコフスキーは音楽活動の方向性で対立関係であったようです。

その他の国の国民音楽(国民楽派)の動き

スメタナ
スメタナ
『わが祖国』の第2曲『モルダウ』は説くに有名

チェコの国民音楽(国民楽派)の動き

チェコの代表的な国民音楽(国民楽派)の音楽家はスメタナとドヴォルザーク。
スメタナは自国の独立運動や歴史等に連携した音楽を発表しましたが、音楽の形式自体は伝統的なドイツ音楽を踏襲したものでした。
一方、ドヴォルザークはチェコ独自の音楽を確立するべく民謡や民族舞曲を取り入れた作品を手がけました。
国民音楽(国民楽派)といっても切り口は様々だったようです。

フランスでの国民音楽(国民楽派)の動き

フランスはもともとドイツ音楽が主流でしたが1871年の普仏戦争の敗北をきっかけにサン=サーンスを中心に「国民音楽協会」が設立されます。
ここからフランスは独自の音楽文化を意識するようになります。

その他の国の国民音楽(国民楽派)の動き

フィンランドは1899年、ロシア皇帝ニコライ2世により自治権をロシアに奪われてしまいます。
この圧制に対し、民族意識がフィンランドで高まります。
シベリウスの音楽は交響詩『フィンランディア』、『交響曲第2番「解放」』等、民族の独立を求める象徴としてフィンランド内で人気を博します。

エドヴァルド・グリーグはノルウェーの音楽家で自国の民族音楽、民族楽器から着想を得た曲を次々に発表し評価を得ます。

国民音楽(国民楽派)の代表的な作曲家と有名な曲

国民音楽(国民楽派)を代表する作曲家と有名な曲を見ていきます。
今回はロシア5人組、ドヴォルザークについてご紹介します。

ロシア5人組

リムスキー
リムスキー
私は音楽家である前に海軍士官でした

ロシア5人組とはミリイ・バラキレフ、ツェーザリ・キュイ、モデスト・ムソルグスキー、アレクサンドル・ボロディン、ニコライ・リムスキー=コルサコフの5人のことです。
ロシアのドイツ音楽から脱却するために自国の民謡などを取り入れた音楽等、ロシア独自の音楽の普及に尽力した方々です。

5人のうちの殆どが別の職業も持っていた

まとめ役のミリイ・バラキレフ以外は音楽家以外に別の職業を持っていました。

■ロシア5人組の職業

  • ミリイ・バラキレフ⇒音楽家(まとめ役)・音楽評論家
  • ツェーザリ・キュイ⇒軍事建築の専門家
  • モデスト・ムソルグスキー⇒役人
  • アレクサンドル・ボロディン⇒化学者
  • ニコライ・リムスキー=コルサコフ⇒海軍士官

職業を見てみるとかなり専門的で本来、掛け持ちでできるような職種ではないですね~。
どちらというと音楽の方が副業的な扱いだったのかも知れません。

5人でユニットを組んでいた訳ではない

ロシア5人組は音楽評論家だったミリイ・バラキレフが発起人となり「ロシア民族特有の音楽を作る」をコンセプトに集まった5人のことです。
発足は1856年で最後に加入したアレクサンドル・ボロディンがロシア5人組に加わるのが1862年ですから6年間くらいは4人で活動していたことになりますね~

また5人組といっても5人共同で作曲・音楽活動をしていた訳ではありません。
「ロシア民族特有の音楽を作る」というコンセプトを共有した仲間という位置づけで活動自体はそれぞれで行ってました。

ロシア5人組のおすすめ曲(ダッタン人の踊り)

オペラ「イゴーリ公」の一場面でロシアの英雄イゴーリ公の前で踊るダッタン人を表現している曲です。ダッタン人とはタタール人のことでモンゴル人を含んだ東方のモンゴル系・テュルク系遊牧民のことを指します。
どこか異国情緒を感じさせるメロディが特徴です。
1953年に『ダッタン人の踊り』のメロディをもとに作られたポピュラーソング『ストレンジャー・イン・パラダイス』という曲も有名です。

ドヴォルザーク(スラヴ舞曲集第1集 Op. 46)

ドヴォルザーク
ドヴォルザーク
国民音楽の普及に尽力しました

ドヴォルザークはボヘミア(チェコ)出身で自国とアメリカで活躍した国民音楽(国民楽派)の代表的な作曲家です。

少年時代は無名だったドヴォルザーク

ドヴォルザークは1824年生まれ。
実家は肉屋と宿屋を営んでいました。父が弦楽器(ツィター)の名手だったこともあり、子どもの頃から音楽が身近な環境で育ちましたが英才教育を受けた訳ではありません。
ただ、子どもの頃から音楽の才能は光るものがあったようです。

13歳の時に実家の肉屋を継ぐための修行に出されるのですが、何と修行先で入学した職業訓練校の校長が音楽家だったのです。
校長はドヴォルザークの才能を見抜き、楽器演奏(ヴァイオリン、ヴィオラ、オルガン)や音楽理論の基礎など、みっちり音楽を教えます。

16歳の時には伯父の援助でプラハのオルガン学校に入学し本格的に音楽の勉強を始めます。

スメタナ・ブラームスとの出会い

ドヴォルザークは19歳でオルガン学校を卒業しますが、チェコはドイツのように音楽家として暮らしていくほどの仕事がなく、ホテルやレストランでの演奏や音楽の家庭教師をして生計を立てます。
1862年にやっとチェコに国民劇場が出来ることが決まり、ドヴォルザークはヴィオラ奏者としてオーケストラに入ることができました。
このオーケストラの指揮をしていたのがチェコの国民音楽の創始者であるスメタナです。
ドヴォルザークはここでスメタナに弟子入りします。

スメタナから音楽について学び、オーケストラ奏者として経験を積んだドヴォルザークは兼ねてから並行して活動していた作曲に専念するために、オーケストラを退団します。
1875年にオーストリアの奨学金に応募し見事、賞金を獲得するのですが、この時の審査員を務めていたのがブラームスです。

当時のドヴォルザークはワーグナーの影響を受けており、また師弟関係を結んでいたスメタナも国民楽派ではありましたが、祖国の独立運動や歴史に連携した音楽作りをしていたものの音楽性自体は伝統あるドイツ音楽を踏襲していました。
ドヴォルザークはブラームスと親交を結ぶようになり、ドイツ音楽にとらわれることなく作曲を行うようになり、自国の民族性の高い音楽の作品づくりに傾倒していきます。

ドヴォルザークのアメリカでの活躍

19世紀の後半、経済成長の著しいアメリカは洗練されたヨーロッパ文化の憧れからか、大金を叩いて優秀な音楽家を招聘していきます。
ドヴォルザークにも白羽の矢があたり1892年にニューヨークのナショナル音楽院の院長として招聘されます。
年俸は何と15000ドル。
現在の日本円でいうと軽く億を超える大金です。
自国では何か苦労したドヴォルザークでしたが金銭面においてもここで報われる訳です。

ドヴォルザークはアメリカに滞在中に黒人音楽の研究も行い、交響曲第9番『新世界より』などの名曲を生みます。

ドヴォルザークのおすすめ曲

『スラブ舞曲集第1集OP.46』をご紹介します。
この曲はブラームスとの出会いにより、国民音楽に目覚めたドヴォルザークの傑作です。
ブラームスが作曲した『ハンガリー舞曲集』の成功を受け、チェコの民族色を出した舞曲の作曲に着手し完成したのがこの『スラブ舞曲集第1集OP.46』という訳です。
当初はピアノ連弾の曲として発表されましたが、人気を博したことにより管弦楽編曲版を発表しました。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
ロマン派時代までの音楽から様々な民族の音楽性が取り入られ、クラッシク音楽の枠が広がった時代と言えます。
この時代に作られた曲は異国情緒あふれるエキゾチックなイメージを与えてくれる斬新な名曲も多いので是非、聴いてみてください。

以上「国民音楽(国民楽派)の特徴・有名な曲・活躍した作曲家・時代背景を知ろう」でした。

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